かつて志賀 直哉は小説の神様といわれていた。昭和前期の横光 利一は、文学の神様といわれていた時期がある。
私が志賀 直哉の作品でおもしろいと思うのは、初期の短編だけで、横光 利一は、やはり初期の『機械』あたり、『榛名』などの名品のいくつか、あとは『旅愁』は最初の一巻だけである。神様には、どうやら縁がなかった。
横光は、時代が彼に強いたせいもあるが、日本とヨ-ロッパをいつも対比的に見ていた作家だった。
道元の、鳥飛んで鳥に似たり、魚行きて魚に似たり、ということばを引用して、こんなにも簡潔に自然と純粋をいいあらわした言葉はない、という。
そこへ行くとヨ-ロッパの法則は中ごろからギリシャの数学のために人間を馬鹿にしてしまった。このため、これに触れた優れた人物は、陸続として眼で見たものだけを信用し、同時にこれを愚弄せずにはおられなくなり、チェホフやヴァレリィのやうに暗澹となって動かうとしない。法則が愚者を建造してその中に住むのである。
昭和九年(1934年)十月のエッセイ。(「覚書」金星堂/1940年刊)
当時の「文学の神様」が、こんなに雑駁なヨ-ロッパ理解しかもっていなかったと思うと憫然とする。19世紀、専制ロシアに生きたチェホフは、はたして暗澹として動かなかったか。20世紀、ヴァレリィが暗澹として動かうとしなかったのか。
人間が人間のために立たねばならぬと云い出して敢然と立ち始めたのがジッドである。それが再び唯物論に転向したが、これもこの世を極楽にするためには、人行きて人に似たりといふ観念論的な地獄への到達から、一層のこと地獄は地獄をもつて洗ふべしと思ったことによるのにちがひない。
こういう一節を読むと、横光 利一にあきれるしかない。頭がわるいのは仕方がない。時代の良心と見られていた作家が、一所懸命に考えていたことがこのような妄語につきる、そのことが哀れなのだ。
もとよりこれは自戒でもある。