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奄美大島に詩人がいる。詩集を何冊も出しているので、詩壇では知られている。
進 一男である。
1945年、19歳。偶然、武者小路 実篤を知って、日向の「新しき村」に行くことになる。ところが鹿児島に帰って召集令状がきていることを知り、九日しかない日数で、小説を書きつづけた。少年は、これが最後の作品になるとひそかに覚悟はしていたが、「これが遺書代わりだなどとは」いわない。
彼が書いたのは『クレォパトラの鼻に就いて』という短編だった。
これが、戦争とはまったく関係のない寓話的な、どこか皮肉な、若者らしい夢想に彩られた「奇想」の作品になっていることにおどろかされる。
原稿は木箱におさめ、風呂敷に包んで、入隊前に母と姉に預けられた。母と姉は空襲のたびに原稿を濠に入れ、隣家まで焼けたときにはその包みをもって裏山をよじのぼったという。
敗戦後、その原稿は復員した進 一男の手に戻った。
現在、八十歳になった詩人が、入隊前にあわただしく書きあげた十代最後の作品を出版した。「遺書代わりになるかも知れない気がどこかに無くはなかった作品」という。

進 一男は、私と同期で、彼が入隊してから、ついに一度も会うことがなかったが、十代最後の作品を八十歳になって出版した詩人の幸福を思う。