宋定伯という男が夜道を歩いていた。その道で人に会った。
「あんたは誰だ?」
と尋ねると、
「おれは鬼(クィ)だよ」
相手が問い返してきた。
「あんたは誰だ?」
という。
「おれも鬼(クィ)なんだよ」
そ知らぬ顔で、いい返すと、
「どこに行くんだ?」
「宛(えん)の市場に行くところさ」
「おれもそこに行くんだよ」
そのままつれだって数里行くと、鬼(クィ)が、
「疲れたな。交代でオンブしよう」
鬼(クィ)がまず宋定伯を背負って、また数里行くと、
「あんた、やけに重いぜ。鬼じゃないんじゃないか」
「死んだばかりなので重いんだよ」
こんどは定伯が鬼を背負ってやったが、まるっきり重くない。何度か交代して、宋定伯が訊いた。
「じつは、おれは死んだばかりなのでよく知らないのだが、鬼は何が苦手なんだい?」
「人に唾を吐きかけられると、ひとたまりもない」
さて、このつづきは伏せておく。
この引用は、私なりに書き変えたものだが、中国の『列異伝』に出ているという。岡本 綺堂の『中国怪奇小説集』(本間 祥介・解説)で知った。
こういうお話が好きなのだ。私に才能があったら、これを脚色して、不条理劇にするか、子どもむきの絵本にしたいところだが。
もう三十年ばかり昔だが、香港で怪奇ものの映画を数本見てから、中国古典の志怪譚(ホラ-)に関心をもってきた。数年前に、墨子についてエッセイを書いたのも、『明鬼篇下』を読んだせいだった。怪奇現象をとりあげて、その実在を論証しようとしたもの。
私にはむずかしい内容だったが、墨子は孔子さまを痛烈に批判している古代中国の思想家。よくわからないのに、私は墨子を尊敬している。
今年の夏は、また中国古典の志怪譚(ホラ-)を読もうか。