旅ゆけば、駿河の国は茶の香り・・
広沢 虎造の名調子は小学生でも知っていた。
いまのようにテレビがあるわけではなく、ラジオで聞くだけだったが、「石松代参」のオ-プニングが聞こえてくると、一言一句聞きもらすまいと、ラジオにかじりついた。
浪曲のファンだったわけではない。だから鼈甲斉 虎丸の「安中草三」を聞いてもわからなかったし、木村 重友の「河内山」や寿々木 米若の「佐渡情話」を聞いても、魂を奪われるような感動はなかった。
広沢 虎造だけに夢中になった。
「おう、江戸っ子だってねえ。寿司食いねぇ」
渡し舟に乗りあわせた客の話にうれしくなった「石松」が、寿司をすすめるあたりになると、「石松」の有頂天ぶりが眼に見えるようで、思わず笑いがこみあげてくる。
その頃の浅草には、定席ではなかったが、江戸館、並木亭、遊楽館といった小屋がずらりとあって、春日 清鶴、東家 楽燕、天中軒 雲月といったそうそうたる顔ぶれがでていた。
浪曲の定席だった音羽亭が、金車亭になって、講釈に代わって浪花節が全盛を迎えようとしていた時期だった。むろん、講談がなくなったわけではない。一龍斉 貞山の「牡丹灯籠」なぞ、聞いているうちにぞくぞく総毛だってくるほど怖かった。
もう怖い話はまっぴらだ、と思いながら、「四谷」も「番町」もきっちり聞いているのだから世話ァない。
そのうちに、虎造のフシをとったコミックバンド、「あきれたブラザ-ス」が出てきて「地球に朝がやってくる」と真似をするようになった。
その頃の山ノ手の小学生たち、奥野 健男や北 杜夫たちはどうだったのだろうか。一度、聞いてみたかったと思う。