324

最晩年の荷風の日記は、連日、浅草に行く、という記述がつづいていた。おそらく日記に記録する気力が失われたせいだろう。浅草に行っても、いまさら新しい感動はなかった、つまり記述すべきこともなくなっている。それで、簡単な記述ですませたのかも知れない。死を前にした荷風にはもはや何も書くことがなかったのか。
毎日、浅草に出かけて行ったのは浅草の踊り子たちと話をしたり、食事をおごってやったりするのが楽しかったからだろう。これはわかる。老齢のため、市川に帰ってきて、疲れてしまって何も書けなくなっていたとも想像できる。
だが、連日おなじ記述を書きつづけたことに、べつの想像が許されるだろう。
荷風の内面には、吉原にかぎらず、どこを歩いても、過去にかかわりのあった女たちの「思い出」が油然とわき起こってきたはずである。そのいくつかは小説に描いた。だが、その思い出が切実なものであればあるほど、もう一度、それを反芻することになる。そのために荷風は日記に何も書かなかったのではないか。
どうしてこんなことを考えたか、といえば、吉本 隆明が「八十歳を越えた僕には(思い出)がなくなってしまった」と語っていることを知って、吉本とは関係なく、私の内面に荷風の日記がうかんできた。
荷風も、八十歳を越えて思い出がなくなってしまったのか。そういう荷風の姿は想像しにくい。