旅に出ることがない。だから駅弁も食べなくなっている。
新聞で知ったのだが、東日本の駅弁販売は、1993年に約890万個だったのが2000年には458万個まで落ち込んだ。ところが、最近は、1個、2千円、なかには3800円という高級な駅弁が売りだされて人気になっているという。
けっこうな話である。そういう駅弁を食べたい人は食べればいい。
ふと、思い出したことがある。日中戦争が激化していたころの話である。
あるとき、有名な作家三人が地方の文芸講演会に出かけた。
車中で駅弁を食べることになって、駅弁をひろげたが、丹羽 文雄は、白いご飯のまんなかに箸をつけて食べはじめ、おかずもおいしそうなものから食べて、いちばん早く平らげて、紐をぐるぐる巻きつけて座席の下にポンと放り込んでしまった。
石川 達三は、はじからご飯に箸をつけて、半分ほど食べると、紐を十字にかけて、座席の下に置いた。
高見 順は弁当箱のフタをとると、裏についたご飯つぶを丁寧に箸でとって口にはこんでから、ご飯の隅からきっちりと四角に箸をつけて、全部食べ終わると、もと通りにフタをして、紐をかけおわると自分の手荷物の上にのせた。
このときのようすを十返 一(評論家)が見届けて随筆に書いている。作家たちに同行したらしい。戦前の映画雑誌(たしか「エスエス」だったと思う)で読んだ記憶がある。このエピソ-ドは中学生の心に残った。十返 一の名前も。
私は、この作家たちの小説をまったく読んだことがなかった。それでも、少しづつ日本の文学作品を読みはじめていたので、丹羽 文雄、石川 達三、高見 順が有名な作家らしいことは想像できた。
この随筆から、流行作家のそれぞれの風貌や、作風の違いまで、なんとなくわかったような気がしたのだが、高見 順がお弁当のフタの裏についたご飯つぶを箸でとって口にはこんだのは、左翼運動で収監された経験から身についたものだろう。
私は登山に熱中した時期があるが、ザックにかならず駅弁を入れることにしていた。弁当をつかいながら、いつも丹羽、石川、高見といった大作家のことを思い出していたわけではない。しかし、戦中、戦後の窮乏や食料の逼迫を知っているだけに、私は高見 順の食べかたに共感する。