一つのことばが、別の人の一生にかかわる。めずらしいことではない。
大正期の画家、甲斐庄 楠音は、先輩の画家、土田 麦遷に「汚い絵」という批評を受けて、それ以後、徐々に画壇からしりぞいてゆく。
他人に非難されたとき、相手の怒りや憎悪をしずかに見きわめること。どこに原因があるのかだいたい見当がつく。てきれば文章で反論する。
そういうとき、いちばんほんとうのことをいっているのは、怒りや憎悪からではなく、批評的に的確なことをいっている人なのだ。
甲斐庄 楠音は土田 麦遷のことばに深く傷ついた。そして、ついには画家の仕事も断念したらしい。(晩年は、「松竹」衣装部の仕事をしていたという。)
このとき、むしろ土田 麦遷の絵のどこが美しいのか、と反論すべきだったと思う。土田 麦遷は世間的には有名画家だったが、戦時中に描いた農村の娘の絵など、対象をとらえる気概もない、まったくの凡作だった。
こういうときの反論の一つ。
きみはぼくの絵を「汚い絵」という。ぼくの絵を「汚い絵」といえるほどの何ものかである君は、いったい何ものなのか。きみの絵が「汚くない」とすれば、「汚くない」絵とはどういう絵なのか。そう反論すべきだった。
私のようなもの書きでも、いろいろと非難されたり、けっこうつらい思いをしてきた。だが、そういうとき、私が思い浮かべていたのは、ごく少数だが、私の側についていてくれる人がいるという思いだった。
たとえば、和田 芳恵、飯沢 匡、内村 直也。五木 寛之。
私はそういう人たちのことばを深く心に刻みつけてきた。