初夏の夕方近く、その通りの角にはその界隈の子どもたちが集まってくる。紙芝居がくるからだった。見料は一銭。ブッキリアメをもらって、口のまわりを白い粉だらけにしながら、世にも怪奇な「黄金バット」の物語に惹きこまれていた。
ある日、その通りに子どもたちが、五、六人しゃがみ込んで何かを見ていた。紙芝居がまわってくる時間ではなかった。子どもたちがまわりをとり囲んでいるのは、道ばたに休んでいる行者(ぎょうじゃ)か雲水(うんすい)のような老人だった。老人のわきに、外に金網が張ってある六角の逗子(ずし)のような背負い子があった。
私もその金網のなかをのぞき込んだ。棚の内部は、中央に剥げた金文字で南無阿弥陀仏と書かれた細い掛け軸が下げられている。それをとり囲んで、びっしりと貼りつけられた小さな写真。棚いっぱいにびっしりと並べられている。大半は少女か、若い娘たちだが、若い男の子の顔もあった。
ざっと見ても百や二百ではきかない数だった。
せいぜい2センチ平方の写真ばかり、半数は色褪せて黄ばんでいたり、銀が浮きだして顔もさだかではなくなっている。明治、大正、昭和にかけて撮影された写真だった。
私と並んで金網をのぞいていた少し年上の子どもが説明してくれた。
そこに並べられている顔写真は、全国各地で神隠しにあったり、誘拐されたり、親に売られて行方がわからなくなった子どもたちばかり。この老人は、行脚(あんぎゃ)の先々で、親兄弟、親戚から頼まれて、その子どもたちの所在、どんなにわずかな消息でもいいから安否を尋ね歩いているという。私はおそろしいものを見たと思った。
神隠しというのは、子どもが不意に姿をかくすこと。昔から天狗や山ノ神のしわざと信じられてきた。そして、人さらいというおそろしい男たちがいて、さらわれた若い娘たちは南洋やシベリアに売り飛ばされたり、もっと幼い少女は曲馬団に入れられてつらい人生をすごす。そんなうわさは幼い私の耳にも入っていた。
その日、紙芝居を見ずに家まで走った。何かおそろしいものに追いかけられそうな気がして。それが何なのかわからなかったが、生きることへのおそれだったのかも知れない。
小学校に入ったばかりの夏休み。