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レジャ-ということばを聞かなくなった。
昭和30年代になって、生活にゆとりを見いだした庶民が、それまてできなかった小旅行や、スポ-ツ関連のリクリエ-ション、あるいは趣味などに自分の時間をふりむけるようになった。東京近郊の手頃な山歩きなども、この頃からさかんになって、現在の中高年の登山ブ-ムにつづいている。
ところで、レジャ-ということばが日本ではじめて知られたのはいつだったのか。
Mechanical equipment should create opportunity for leisure,not unemployment.
(訳文  機械力的装置は閑暇の機会をつくり出すもので、失業をつくり出すものではない。――合衆国上院議員 ボラ-氏)
私の訳ではない。「日曜報知」(昭和7年1月24日号)の「現代の言葉」というコラムに出ていた。
こんな一節からも、いろいろなことが読みとれる。当時のアメリカは大不況に見舞われていた。失業者があふれ、労働者がレジャ-を楽しむなど考えられなかったのだろう。と同時に、老朽化した各種産業の設備投資の促進と再編成が進められていたことがわかる。おなじ論理は、この十年、景気が冷えきって、たえずデフレスパイラルの危機におののいていた日本でも、しばしば聞かれたような気がする。
いまの日本ではレジャ-ということばを聞かなくなった。
最近の海外旅行や、ペット・ブ-ム、サッカ-・フィ-バ-、どれをとってもレジャ-という程度のものではなくなっている。
落語に出てくるご隠居みたいにレジャ-を楽しんでいるのは、いまどき私ぐらいなものだろうな。