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フィルムを焼き捨てる。もともと残しておく必要のないものばかり。
それぞれの写真にはその一枚を撮ったときの思い出が重なっている。しかし、他人が見てもまったく興味がないだろう。なかにはヌ-ドもあった。
写真は私の記憶をよみがえらせてくれる。ときには、その思い出があざやかにひろがってくる。ふと、その頃のことを書いてみようかとも思う。たいていは書かない。書こうと思ったことさえもじきに忘れてしまうのだが。
一時、カメラに凝っていた。ハッセルブラッドがほしいために通俗小説を書いていた時期もある。今は、わずかばかりのカメラも戸棚の隅に放り込んだきり。デジタルカメラの登場で、私のカメラの運命も終ってしまった。
いまさらながら技術の進歩の速さにおどろいている。まさか写真の現像技術がこれほどあっさりとデジタルに転換してしまうとは想像もしなかった。
ひさしぶりにカメラを手にとると、ずっしりとした重みがつたわってくる。未使用のフィルムもまだ少し残っているのだが、もうカビだらけになっているか、カラ-フィルムは褪色がひどく、いま現像してもボヤけてしまっているだろう。
残念だがみんな焼き捨てよう。
カメラばかりではない。
エボナイトからLP、ハイ・フィデリティ-からステレオ、CD、ビデオからDVD、ワ-プロからPCという変化を見つづけてきた。ただし、心の隅では、そうしたテクノロジ-の驚異的な進歩にいつもふりまわされつづけてきた自分が情けない気もする。