五代目、菊五郎の舞台は見たことがない。私が生まれる前に亡くなっている。
その五代目が「戻橋」(もどりばし)を上演したとき、大道具の棟梁(かしら)を呼んだ。何かの図面を出して、
「すまねえが、この寸法で作ってもらいたい」
「何ですィ、これあ」
いぶかしげに棟梁(かしら)が訊くと、
「橋の図面さね。京都の知り合いに手紙を出して聞きあわしたんだよ。見物(観客)の眼には、そこまではわかるめえが・・」
「わかりました。作りましょう」
棟梁(かしら)がきっぱり答えた。
この話、母から聞いた。
六代目(菊五郎)の舞台は私も見ている。戦時中のこと。むろん、何がわかったわけでもない。ただ、綺麗な役者だなあ、と思っただけだった。
菊五郎をかかさず見に行っていた母が、ある日、帰ってくるなり、
「ひどいんだよ、あの人は。お客を見て、踊りを半分もはしょるんだからねえ」
ぶんぷんしていた。
六代目は「娘道成寺」を踊ったが、客の顔を見て、途中の踊りをすっぽり抜いて、早く切り上げたらしい。観客はもともとそういう演出だと思っているから、誰も不審に思わない。母は三味線をやっていたから、気がついたらしい。
「いくら(踊りの)名人だて、ああいうこたぁ、やっちゃあいけないねえ」。
母は六代目(菊五郎)を見に行かなくなった。