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自分では使わないことばを他人がどう使ってもあまり気にならない。
山本 夏彦は、自分が使いたくない表現として、「叩き台」や「踏まえて」といういいかたをあげていたらしい。剣持 武彦は、このふたつをあまり気にならないでつかっている、という。
その剣持 武彦がどうしても使いたくないことばとして、「もの書き」、「やぼ用」、「生きざま」をあげている。それぞれの語のひびきが卑しくかんじられるから。
私も、「叩き台」や「踏まえて」といういいかたはしたことがない。そうしたことばが使われる会議や、人種に無縁だったせいだろう。
たしかに、剣持 武彦のいうように「もの書き」、「やぼ用」という表現は、一見へり下ったような、てれかくしの自己表現で、使うときの心根の卑しさを感じさせる。
私は「生きざま」という表現は一度だけ使ったが、「やぼ用」は使ったことがない。しかし、「もの書き」はよく使う。「しがないもの書き」というふうに。たいしてりっぱな作家ではないからである。
私が嫌いなのは「なにげに」とか「よさげな」という形容。なにげにネコに眼をやると気もちよさげに眠っていた、といった表現。
ただし、翻訳で使うことはあるかも知れない。そのキャラクタ-にぴったりくる、と判断すれば。