ずいぶん前に、通俗雑誌の挿絵画家、ノ-マン・ロックウェル展で、『イエス生誕を見守る人々』という一枚を見た。ノ-マン・ロックウェルは、雑誌の表紙にごく平均的なアメリカ人、とくに少年少女を描いたイラストレ-タ-。
だが、この『イエス生誕を見守る人々』は、画面中央に剣を抜き放ったロ-マ兵の下半身がえがかれ、それを囲むようにして善男善女たちが、イエス生誕を見守っている構図。描かれたのは1941年12月。うっかりすると、ただクリスマスを描いた宗教画にしか見えない。だが、この一枚はロックウェルが痛哭の思いで描いたことはひしひしとつたわってくる。
ところが、カタログには何も説明されていなかったし、美術評論家も何ひとつ解説していなかった。この絵を見たときから、私はこの美術評論家を信用しなくなった。
美術展のカタログには、たいてい勉強家の秀才たちの解説がついているが、そんなものを読むより、自分勝手に絵を見ているほうがよほど楽しい。
たとえばシスレ-の一枚。『森へ行く女たち』(1866年)。
田舎の村の真昼。石と煉瓦造り、似たような農家が三、四軒。乾いた道が斜めにのびて、手前に三人、女たちが立っている。ひとりが本か紙切れを手にして、三人が何か話をしている。やや離れて、道に馬車の輪ッカを立てた男。さらによく見ると、遠くの家の日蔭にも二、三人、女たちが立っている。みんなが森に行こうとしているのだろうか。
なんのへんてつもない風景。美術評論家もとりあげないし、シスレ-の代表作でもない絵なのに、いろいろ想像したくなる。
道に立って何か話をしている三人は何を話しているのだろうか。手にした本(パンフレットかも知れない)は何なのか。森に行くための地図だろうか。まさか。
当時、フランスの農民の識字率はきわめて低かった。したがって、通俗小説にしても文学作品とは考えられないし、森に出かけて行くときに聖書をたずさえて行くとも思えない。では何か。
手紙。誰からの? おそらく戦死公報だろう。どこから? マダガスカルから。
むろん、私の勝手な想像である。しかし、男がひとり、女たちからややうしろ、道に馬車の輪ッカを立ててたたずんでいるのはなぜなのか。
そんなことを想像しながら絵を見るのが私の楽しい悪癖のひとつ。