相田 翔子、鈴木 早智子というふたりの美少女のデュオ、「WINK」をおぼえているだろうか。
1988年にデヴュ-したあと、3曲目の「愛はとまらない」が大ヒットして、平成のス-パ-・アイドルといわれた。96年に「WINK」は活動をやめている。
その後、相田 翔子は芸能界からしばらく姿を消していた。その頃、住んでいたマンションの管理人に、いわれた。
「この頃、テレビで見かけないな。すっかり落ちぶれちゃったんだね」
相田 翔子はこれがきっかけで芸能界に復帰して、現在はポップスではなく、いろいろな番組で活躍している。
私が関心をもつのは、ここに大衆心理の典型的な本質が見えるからである。私たちの内面にはスタ-崇拝(ウォ-シップ)がひそんでいる。それは何かのチャンスには、かならず軽蔑や嘲笑に転化する。相田 翔子はこのときの管理人のことばに「悪意」を聞かなかったはずである。
私にも似たような経験がある。
友人の松島 義一が編集者をやめたときの集まりで、たまたま批評家の奥野 健男が私を見てにやにやしながら、
「この頃、どこでも(きみの書いたものを)見かけないな。消えちゃったんだね」
私もにやにやしながら、
「だから逼塞しているよ」
このとき、私はひそかに奥野 健男を軽蔑したのだった。当時、私は『ルイ・ジュヴェ』を書きつづけていた。ラテン・アメリカを巡業していたルイ・ジュヴェの暗澹たる状況に自分を重ねていたような気がする。
私は気がつかなかった。軽蔑にはしばしば羨望がかくされていることを。