さる料理屋の暖簾(のれん)をくぐった。名は・・・伏せておく。場所は、赤坂。
江戸の昔から、暖簾は粋なものとされている。この店の主人も、いなせで粋なものとしてかけているのだろう。柿色暖簾だった。
大正に入って、牛肉屋、タバコ屋の軒先にかけられていたのも柿色暖簾。
この色がひろく使われるようになったのは、歌舞伎の影響だろう。お披露目の口上などの儀式ばった舞台に、役者が柿色の裃(かみしも)をつけてあらわれるのも、河原者と呼ばれた頃のなごり。
もともと柿色暖簾は売色のエンブレムだった。
安永(1773~80年/恋川 春町、並木 五瓶の時代。平賀 源内が獄死。)の頃に、
へその下谷に 出茶屋がござる
柿ののれんに 豆屋と書いて
マツダケ(松茸)売りなら 這入りゃんせ
というわらべ唄があった。まつたけと濁らなかったことがわかる。「豆屋」もタブル・ミ-ニングだが、せっかく廓に通いつめても、客を「待つだけ」にするつれないあしらいまで見えてくる。
この料理屋、いかにも当世ふう。あまったるくて値が張って。おかげで、すっかり熟柿くさくなっての帰り。(こんなイディオムももう通じないだろうな。)