10年前。
作家、遠藤 周作が亡くなった。
私は彼の葬儀に参列したが、式場は参列者でいっぱいだった。大勢のファンが長い列をなして在りし日の作家を悼んでいた。私は教会の外の庭に立って、立錐の余地もないほどつめかけた会葬者のなかで、若き日の遠藤 周作を偲んだ。やがて聖歌の合唱になって、隣りにいた若い女性が美しい声で唱和していたことを思い出す。
当時、私は長い評伝(『ルイ・ジュヴェ』)を書きつづけていた。遠藤 周作が生きていたら読んでもらいたかった。しかし、評伝はいつになったら完成するのか、自分でもわからなかった。それに、完成しても出版できるかどうか。私は自分の内部にうごめいている不協和音、混乱ばかり気になっていた。私の内部ひどく暗くていびつに歪んだ穴がぽっかり開いている。それまで私の周囲にいてくれた人が不意にいなくなって、私をしっかりとり囲んでいた輪がくずれようとしている。そんな思いがあった。このときの私はほんとうに懊悩のなかを歩きつづけていた。
この年、飯島 正、司馬 遼太郎、武満 徹、大藪 春彦、増淵 健、宇野 千代といった人々が亡くなっている。
ジ-ン・ケリ-、アナベラ、クロ-デット・コルベ-ル、ドロシ-・ラム-ア、マリア・カザレス、マルチェッロ・マストロヤンニたちも。
「Shall we ダンス?」、「岸和田少年愚連隊」、「トキワ荘の青春」といった映画をやっていた。「楽園の瑕」や「天使の涙」なども。「42丁目のワ-ニャ」をみて、その監督をひそかに軽蔑したことをおぼえている。
私の内面に死というイデ-が浮かんできたのは、このときからだったような気がする。