巴里に於ける飛行椿事・・・五月二十一日、巴里に於いて挙行せる巴里マドリッド間の飛行競争会に於いて、出発後、一大椿事起こり一飛行機は群衆の頭上に墜落して、数多(あまた)の重傷者を生じ、内閣総理大臣、モニ-氏、陸軍大臣、ベルト-氏、及び高級武官一名、重傷を負ひしが、陸軍大臣は遂に負傷の為に死去せり。独逸大使は仏国政府に対し、独逸宰相、並びに同政府の悼詞を述ぶべく伯林(ベルリン)より電命令せられたり。
これは、明治44年の新聞記事。
この事故は、20米突(メ-トル)の空中から一機が墜落したもの。当日、このレ-スをみようとつめかけた観衆は「実に二十万人に上れり」という。
首相は、両足を骨折したほか、外鼻骨を挫折、視力障害を起こした。
この事件で、セルビア国王のパリ訪問が、急遽、延期された。
おなじ時期、日本でも、ブレリオ式飛行機の事故で、徳川大尉、伊藤中尉が重傷を負っている。こちらの記事には・・・「とにかく、日本飛行家は未だ飛行に於いて充分の成功を収めざるが如し」とあった。
こんな記事を読むと、じつにいろいろな感想がうかんでくる。