出羽ガ嶽のことを知っている人は、もういないだろう。
斉藤 茂吉が可愛がった力士で、お正月か何かに、斉藤邸に挨拶にうかがった。幼い頃の北 杜夫は、その巨躯に恐怖をおぼえたという。これは北 杜夫が書いている。
こんな笑話があった。
相撲部屋でも、お正月には屠蘇を祝い、お雑煮をいただく。
出羽ガ嶽のお雑煮に入れるお餅の大きさはハガキほどもあった。
お相撲さんのことだから、ぺろりとたべてしまう。
「めんどうくさい、出羽ガ嶽のお雑煮は往復ハガキにしろ!」
出羽ガ嶽は関脇どまり、膝やからだの故障で不成績がつづいて、番付は落ちるばかりだった。やがて廃業、いつしか忘れられてゆく。
私が土俵の出羽ガ嶽を見たのは二度。前頭の上位のときと、十両に落ちてからと。二度ともあっけなく負けてしまった。
学校の帰り、チンドン屋が出て人だかりがしていた。電車通りに面した角にお菓子屋ができて、開店のお披露目だった。
クラリネット、三味線、ハチに小太鼓で、「美しき天然」のメロディ-に乗って、チョンマゲ、鳥刺し姿の男女がうねり歩いているなかに、赤と白のトンガリ帽子をかぶった巨大な男が、店の名前をくろぐろと墨書した幟(のぼり)を掲げ、背中に旗指物(はたさしもの)をさして、のっそりと歩きまわっている。見物人は遠巻きにして、ゲラゲラ笑っていた。
出羽ガ嶽の落ちぶれ果てた姿だった。
小学生は、なんだか悲しくなって、べそをかきながら家に帰った。