スキ-が大衆化したのは、昭和初期。小学校三年の冬から春にかけて、毎週のように、父につれられて、土曜日の午後から、仙山線で、山形の蔵王高湯に出かけて、暗くなるまでゲレンデですべった。その夜は定宿にしていた「若松屋」という温泉宿に泊まることにしていた。宿の主人は斉藤 茂吉の親戚らしく、茂吉の書が掛けられていた。
当時はまだ樹氷もほとんど知られていなかった頃で、スキ-で蔵王に登るスキ-ヤ-は少なかった。登頂したあとは、上ノ山まで、スキ-で下って行く。豪快なコ-スだった。上ノ山からは、また汽車で仙台に帰るのだった。
山形で、スキ-がひろがつたのは、昭和4~5年からで、芸者衆までがスキ-をはいてお座敷まわりにいそがしかった。スキ-場でよく見かけたものだった。
雪のお山で リャ-ンとリャン
ジャンプとテレマク リャ-ンとリャン
走ってころんで リャ-ンとリャン
深い雪につつまれた静かなお座敷で、女たちがさざめいていた。・・
東京の中学に入ってから、スキ-とは縁がなくなった。