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私は泉 鏡花が好きである。小説におバケが出てくるから。
鏡花は仲間の作家(たぶん、硯見社の誰かれだろう)に、おバケを出すなら、できるだけ深山幽谷のなかに出したほうがいい。なにも東京の、三坪か四坪のなかに出す必要はない、といわれたらしい。
しかし、鏡花は、なるべくなら、お江戸のまんなか、電車の鈴の聞こえる場所に出したい、と答えた。
鏡花にいわせれば、作中におバケを出すのは別にたいした理由があるわけではないという。私はこういう鏡花に敬意をもつ。いちいち理由を並べて出てくるおバケがいるはずもない。ようするに、索漠としてつまらない現実のなかで、自分の感情を具体化して、うつつとも夢ともつかぬマージナルな場所にあやかしを見る態の感受性を享けて生まれてきた作家と見ればいい。
鏡花は「この調節の何とも言へぬ美しさが胸に泌みて、譬へ様がない微妙な感情が」起きてくる、という。この感情が『草迷宮』になり、また、ほかのおバケになる。
「別に説明する程の理屈は無いのである」といいきっている鏡花に、文壇批評など太刀打ちできるはずがない。