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楚臺(そだい)の夢は一夜の枕に驚き、驪山(りざん)の契りは万里の雲を隔つ。朝(あした)の嵐に錦帳を動かせも、李夫人が影もふたたびかをることなし。然(さ)らば、翡翠(かわせみ)という鳥は、いかなる美人の魂にかあらむ。杜子美が衣桁(いこう)になくといひけむも此鳥ならで外にはあらじ。名にめでてこれを我友となさば、はしなき人にやあやしまれむ。
支考の文章。
江戸文人のこういう文章が、いまの私に理解できないのは、残念だが仕方がない。支考さんのいっていることは、なんとなくわかるのだが、無学な私にはすっと頭に入らない。 しかし、翡翠という鳥の「名にめでてこれを我友となさば、はしなき人にやあやしまれむ。」というのは気にいらない。「はしなき人」に「あやしまれ」たっていいじゃありませんか。