今 東光の青春小説を読んでいて、こんな部分にぶつかった。若い頃に、二つの系統の友人があった、という。
一つの系統は名門富豪の子弟で、学費はもとより小遣いも潤沢で、おっとりと成長する。もう一つの系統は貧賤に育ち、苦学力行し、あるいは自暴自棄になって反抗ばかりし、泥沼の中を這いずり廻りながらくたばりもしないで生き抜いている奴等だ。
私はごく普通の勤め人の家庭でそだったので、友人関係といっても、これほどはっきりわけられない。私の周囲には名門富豪の子弟などひとりもいなかったし、泥沼の中を這いずり廻っているようなひどい貧乏人もいなかった。
敗戦後、苦学力行していた友人はいたし、特攻帰りでヤクザの仲間に入って、肩で風を切っていたが、ヤクザどうしの抗争で片腕を斬られて死んだやつもいる。共産党に入ってしょっちゅう刑事が尾行していたやつもいたし、一念発起して医学を勉強しなおして医者を開業しながら無理がたたってすぐに死んでしまったやつもいる。
青春時代にいい友人に恵まれた人はしあわせだと思う。
自分の過ごしてきた青春とひどくかけ離れている今 東光の連作『吉原哀歓』や、「青春図譜」といった短編が好きで、今でもときどき読み返す。