「SAYURI」の章 子怡(チャン・ツーイー)が、ゴールデン・グローヴの最優秀主演女優賞の候補にノミネートされた。昨年、世界の美女100名にも選ばれているので、章 子怡(チャン・ツーイー)のファンとしてはうれしい。
女優としてのチャン・ツーイーは、初期の出演作からすぐれた映画監督と仕事をしてきた。そのため、少女期から「娘役」(ジュヌ・プルミエール)として、のびやかな才能を見せてきた。どういう役にもたくみに適応してきた。なによりもすぐれているのは、どういう作品でも、どこかでかならず輝いている瞬間がある。
ふつう、「娘役」(ジュヌ・プルミエール)の女優は--監督がかならずそういう演出をするからだが--いつも「比類ない彼女」(uncomparable SHE)としてあらわれる。しかし、ほとんどのスターたちはこの「輝き」をもっていない。(ジョーン・クローフォード。ロザリンド・ラッセル。)
どんな美女であっても、この「輝き」をもたないか、それがあらわれる時期は比較的、短い場合が多い。(ブリジット・バルドー。最近の孫 燕姿。少し前の折原 啓子。それよりも前なら原 節子。)もとより美貌や若さにもかかわりはあるが、平凡な顔でも高齢でもどこかでかならず輝いている瞬間、女優としての香気(flagrance)を出す女優がいる。(キャサリン・ヘップバーン。ジェシカ・タンデイ、フローラ・ロブソン。日本では、浪花 千栄子、中年過ぎてからの田中 絹代。)
つまり、ある種の女優にとってはこの「輝き」は生まれつき(スポンタネ)なものであることが多い。
章 子怡(チャン・ツーイー)をそういう女優のひとりと私は見ている。