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 歳末、私の「文学講座」で石川 啄木について講義をした。
 これまで啄木について語ったことは一度もない。関心がなかった。もともと無縁といっていい。しかし、こうして読み返してみて、あらためていろいろ考えることができた。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる
かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川
ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな

 誰でも知っている名歌に、私はほとんど関心がない。それよりも、

さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき
頬につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人を忘れず
うすみどり飲めば身体が水のごとく透きとほるてふ薬はなきか

 といった歌に胸を打たれた。
 『一握の砂』という歌集は、現在の私には平凡な歌の羅列に見える。しかし、その二、三十首は、明治という時代をつきぬけて、実存の不幸と格闘しなければならなかった詩人の声が響いていると思う。