『O嬢の物語』は、女性のマゾヒズムを描いたポルノグラフィーとして世界じゅうに衝撃をあたえたが、作家、ポーリーヌ・レアージュの正体をめぐっていろいろな噂が流れた。ひろく信じられたのは、ジャン・ポーランの変名ではないかという噂だった。
「EROTICA」(マヤ・ガルス監督/97年)は、10人の女性のインタヴュー。ボルノ女優のアニー・スプリンクル、『肉屋』の作家、アリーナ・レイエス、女性のヌードを美しくエロティックに撮影する写真家のベッティナ・ランスなど。
そのなかにポーリーヌ自身が登場していた。1907年生まれ。すっかり老齢に達しているが、上品なレディで、淡々と自分の性生活を語っている。彼女は作家のジャン・ポーランと15年間、事実上の「関係」があって、生涯でいちばん幸福な時期だったという。 女性として誰かに服従したいという欲求は、完全に個人の趣味という。恋する女なら誰でも経験するでしょう、と語る。そして「今の私は死人も同然」と語る。
おなじドキュメントに、『O嬢の物語』に絶大な影響をうけたというジャンヌ・ド・ベルグも登場する。彼女が、じつはアラン・ロブ・グリエの夫人で、サド・マゾヒズムは夫によって調練されたこと。これも驚きだった。
今にして思えば、『O嬢の物語』は二十世紀の文学作品でもっとも特異な作品だった。おなじように評判になった『エマニュエル夫人』や『孤独な泉』、『肉屋』程度のEROTICAではない。この作品は、これからもまったく違った文学的時空を生きつづけるだろう。