いつか私は書いたのだった。ひとはときとして愛するひとのなかに永遠をもとめる、と。(「フリッツィ・シェッフ」)愛はある情緒(エモーシォン・パルティキュリエール)のなかに永遠をかいま見ることにほかならない。だから、ほんとうの愛がいつまでもつづくことを心のどこかで、ほんのわずか信じたとしても無理からぬことだろう。
だが、そうした愛がつづくことはない。男と女の関係が終わったとき、彼や彼女は――長くつづく真実の感情がもてないのかもしれないと思わなかったのだろうか。そんな疑問が胸をかすめる。
つまり、自分の無能力になぜか罪の意識をおぼえてしまうようなことはないのだろうか。そこからもう少し先には、相手がほんとうに自分を愛してくれていたのか、という疑いが待ちうけていることにならないのだろうか。