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「キリマンジャロの雪」が、私のはじめての翻訳だった。
民間放送がはじまる前に、内村 直也さんが若い俳優の養成を考えて、「芸術協会」をはじめた。私はこのとき朗読のテキストを探して、ヘミングウェイに出会った。
この訳を俳優の三島 雅夫が読んで、アーサー・ミラーの「みんなわが子」の訳を依頼してきた。私の訳は戯曲の訳として、まるで使いものにならなかった。演出家の菅原 卓につよく叱責された。このときの経験が今の私を作ったと思っている。