1811年4月24日、ドイツの新聞「ウルメル・ラントボーテ」に、おもしろい広告が出た。
数カ月におよぶ名伏すべからざる辛酸をへて、巨額の資金を投じて、ひたすら機械の研究に没頭した結果、ここに吾人はついに飛行機を発明したのであります。
つきましては、ウルムにおいて、第一回の試験飛行を挙行いたしますが、多数の専門家の方々のご賛同を得ましてますます勇躍いたし、その成功のほど、いささかの疑念もなしと信じております。
そこで本日より試験飛行当日まで、当地「ターク・デス・ヴェルズッフス」大ホールにおいて、機体をみなさまのご観覧ならびにご試問に供すべく展示申しあげます。
なお、試験飛行につきましては、本紙において、時日など、あらかじめくわしくお知らせいたします。
ベルプリンガーという署名があった。
この飛行機の発明者は、アルブレヒト・ルートヴィヒ・ベルプリンガー。1771年9月28日、ウルム生まれの仕立屋さん。父親は小学校の先生だった。日本にこの記事を紹介した人は、「彼は実に人力に依って得られた最大発明の一に対する先駆者であった」という。飛行機の説明もある。人力飛行機だったことはわかるのだが、構造も性能もよくわからない。
「ベルプリンゲルの飛行装置は帆布を張ってある台に結び付けてある偏平な数個の框よりなる組織で其台には一個の小さな籠がかけてあった。飛行者は此籠の中に立って居るか座って居てここより紐とポンプ杵とに依って、例の框をその下面に当たる風が必要なる上圧力を充分及ぼすことの出来る様な具合に確定し或は框の位置を変更すべき仕掛けであった。」
1811年5月30日、ウィルテンバーグのフリードリヒ王は、ウルムに行幸することになった。
このため、ベルプリンガーさんの試験飛行は予定を変更して、ほかの祝賀の催しとともに王の天覧に供されることとあいなった次第。
さっそく、ドナウに面したアドラー台地に発着場が設置された。ここから、ベルプリンガーさんの愛機は空高く舞い上がる予定だった。この発着場の構造や設備がどういうものなのかわからないのだが、ドナウ河畔に突き出した網代(あじろ)のようなものだったらしい。つまり、台地の斜面を利用して、ドナウに向かって駈け降りる、といったプランが計画された。