レニングラード行き夜行列車
その2
駅のまわりの赤い兵士
私たちは雑踏にまぎれ込んだ
ひそかな会話が
大きくこだまするようだった
スターリンは気が狂った
という噂に黙り込んで
カバンを放り投げて汽車に乗った
レニングラード行きの夜汽車
レニングラード行きの夜汽車
主義に対してロマンティックで
高尚だったと思われるだろう
しかし表現の自由への欲求は
あの法律には耐えられなかった
だからもし自由を夢見るなら
逃げなければならない
レニングラード行きの夜汽車
レニングラード行きの夜汽車
まだ、ソヴィエトが崩壊する前に書かれたこの曲は、ブレンダ・ラッセルの「キス・ミー・ウィズ・ザ・ウィンド」(A&M/1990年)に入っている。ブレンダの胸に誰がイメージされていたのだろうか。そして、1932年のモスクワでは、こうした光景はめずらしくなかったと想像できるだろう。
1932年、2月、ロシアでは人民委員オルジョニキーゼが死亡している。
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