河本 和子
私が、はじめて中田耕治先生にお会いしたのは女子美術大学に通っていた頃だった。女子美祭の実行委員会会長だった永吉友紀さんが、先生を紹介してくれてマリリン・モンロー展のお手伝いをしたりした。それをきっかけにオーストラリア人のカレンさんという女性と中田先生が知り合い、彼女を囲んでの会にも呼んでいただいた。
それから女子美を卒業しフランスへ行く事になった。幸運にも先生の執筆中だったルイ・ジュヴェとその時代に関する資料を集めて先生のお手伝いをすることができた。先生はいつもフランスから帰国する私を温かく迎えて下さった。
私はフランスで生きていくつもりだった。しかし病になり日本に戻った。当時結婚していたフランス人の夫とも離れ離れになった。病気になった頃中田先生にお会いするのを控えるようになった。私の心は病んでいたので人に会うのが辛かった。
それから十数年。かなり病気は良くなった。中田先生の事を懐かしく思って手紙を書いた。フランスにいた頃そうだったように日々の事を書いていた。先生は変わらず温かい言葉で接して下さった。
去年のヴァイオリンの発表会で、ドヴォルザークのユーモレスクを弾いた。どうしても上手く弾けない所があると手紙に書いた。今年はバッハのG線上のアリア。本番で先生の事を思い出した。何故か上手く弾けた。その事を報告したかった。
中田耕治先生これが先生への最後の手紙になるのでしょうか。もう先生の笑顔も見れないし、お声も聞けないんですね。
いいえ。先生の笑顔は私のそしてみんなの心の中にあります。いつまでも。いつまでも。
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