私の旅
−−私の旅はたいていおかしな失敗ばかり−−
空港のバーに腰かけて、つめたいヴェルモットか何かのグラスを手にしながら、これでまた日本に戻るのか、とぼんやり考える。そんなとき旅をしているという実感がある。
いつもひとり旅ばかりなので、この土地もこれでお別れだなという、なにがなしうきうきするような、ちょっと残念な気もして、へんにノスタルジックな気分にひたりながら、その旅のことを思い出している。あわただしかった日程や、旅客機の乗り継ぎの時間にあわせての行動のせわしなさや、疲労感や、使いなれない外貨を使うわずらわしさ、旅先でぶつかった楽しかったこと、不愉快なこと、そんなものがみんな過去のなかにくりこまれてゆく。
旅というなまなましい体験を、なしくずしに過去に組み込んで、漠然とながら、もう自分の世界から切り離そうとしている自分。
旅で知りあった人たちのこと。そのなかには、思いがけぬかたちで親密につきあった人たちの姿もある。そういう人たちでさえ、もう遠く去って行ってしまっている。そのなかのある人たち、それが女性だったりした場合には、そのままいつまでも心に残るだろう。それはわかっている。そのくせ、自分でも知らずしらず、自分をそういう別離という感傷的な気分にあわせているような気がする。
私の旅はたいていおかしな失敗ばかりで、カッコいいものではない。夜中にローマに着いて、バッグとサムソナイトをひきずって、真夜中のアッピア街道で安ホテルを探しまわったり、日本人と見て、たくみに話しかけてきて、こちらをだまそうとした連中のこと。ジュネーヴの駅でタクシーをひろい、予約しておいたホテルの名を告げたところ、歩けといわれてアタマにきたこと。ここまできて乗車拒否とは何事か。強引にタクシーに乗り込んだところ、ぐるり広場を一周して、なんと目と鼻の先のホテルに横付けされた。
だから私の旅はまことにみっともない赤毛布(あかゲット)まるだしのドジばかり。
旧ソヴィエトの作家同盟の招待で、ロシアを旅行したときの、憂愁にみちたサンクト・ペテルブルグの印象や、シンフェローポリ近郊の名も知れぬ田舎町の人びとの人なつっこさはうれしかった。モスクワ、サンクト・ペテルブルグ、どこに行ってもドストエフスキー、トルストイ、チェホフの小説に出てくる風物や、登場人物と重ねあわせて見ているような気がした。しかし、実際には、当時のKGBに監視されていて、かなり不快なことも経験した。いま(1994年)だって、たとえばウラジオストック在住の日本人は、ロシア当局に監視されているし、電話も盗聴されていると見ていい。
私は、いつもこういう場所にこそ旅行したいと思ってきた。あまり人の行かない場所に旅をして不愉快な目に会うのが趣味というわけではないが、みんなで仲よく名所旧跡を歩くのは好きではない。くそっ、こんな土地にくるんじゃなかった。誰だ、こんなプランを立てやがったのは。自分に悪態をついたり、ときには不安におののきながら、見知らぬ土地を歩きまわるほうが、まだしも旅をしているような気がする。
旅する土地と、自分の住んでいる土地との相違、ときには落差が大きければ大きいほど、その違いから相手を理解しようと努める。それが私の旅にほかならない。
そんな私の経験だからあまり参考になるとも思えないのだが、私が海外旅行にかならずもって行くパースナル・エフェクツをいくつか紹介しておこう。
ハサミ、麻ヒモ、A3の大型封筒、ガムテープ、ノリ。
すぐにおわかりだろうが、旅の途中で買い込んだ本や雑誌などを行く先々のPTTから送るためのものである。たいていどこでも売ってはいるが、旅先ではこんなものを買うにも苦労する。どこで本を買っても、すぐに包装して、船便で送ってしまう。船便なら安いし、こっちが帰国してから、ゆっくり月遅れの雑誌が届いてくるのも楽しいからである。
ウェット・ティッシュー。わざわざ買ってもって行くのではない。喫茶店で出してくれるやつを使わずにせしめておく。タダだが、なにしろ旅先ではまず入手できない貴重品である。用途は意外にひろく、知らない土地を歩き汗や埃にまみれた時にこれで顔を拭けばさっぱりする。びろうな話で恐縮だが、田舎のトイレットに入ったりしたとき落とし紙として使うのもいい。どこの国に行ってもその国の女性とよしみをつうじて、国際親善を果たしたい方々には、ほかにいろいろと有効な用途が考えられるだろう。
つぎに用意するのは、スーパーのバーゲンで買った女性のストッキング。日本で売られているストッキングは、品質、色あい、はき心地、強さ、すべての点でベスト。どんな先進国の製品と比較してもまったく遜色はない。まして、ロシアのブティックなどで売られている製品など、そもそも比較とか何とかの段階ではない。私はこれを各国の女性にさしあげることにしている。ただし、へんに誤解されると困るから、こちら側の誠意のほどはきちんと説明しなければならないが。
おみやげとしてなら、50円硬貨、5円硬貨がいい。こういう穴のあいた貨幣はめずらしいので、たいていの人はよろこんでくれる。むろん、庶民レベルの話である。
ところで、私はその土地々々の子どもたちと仲よくなる。ことばがしゃべれない旅人なので、まず必要最小限のことばをおぼえなければならない。いちばんいいのは、子どもたちと仲よしになることで、簡単なヴォキャビュラリーはたいてい教えてもらえる。どこの国の子どもたちもキャッキャッいいながらわれがちに教えてくれる。
フィリピンのバギオに行ったときは、小学校の生徒ふたりと仲よしになったおかげで、夜間外出禁止時間(カーフュータイム)にホテルを探してもらった。そのホテルは、なんとボルデッロだったが、私が安ホテルを探していると知ってわざわざつれて行ってくれたのだった。
海外旅行に出かけて、いちばん楽しいのは、いよいよこれから日本に帰るというときに、空港で飲む一杯の酒、一杯のコーヒーなのだ。
「私の海外旅行術」安原 顕編
(リテレール・ブックス 12)1994年刊行