ルネッサンス・イタリアの女たちが、性的に奔放で、乱倫をきわめていたと見るのは、はっきり間違いだし、間違いではないにしても、かなり一面的にすぎるだろう。大多数は貞淑な女たちだったし、性にかかわりなく生きた女たちも多い。
私などが関心をもつ女たち、たとえばルクレツィア・ボルジア、コスタンツァ・アマレッタ、はっきり色情狂だったラウラ・ファルネ−ゼといったエロティックな女たちは、例外的な存在と見てよい。
そのかわり、ルネッサンスの娼婦たちは、その数、性風俗において、ほかの時代の娼婦たちに比較しても異彩を放っている。
娼婦の階級差もきびしいもので、ヴェネツィアでは、下級の娼婦をコルテザ−ネ・テッラ・ミノ−ル・ソルテと呼んだ。マイナ−な種類の淫売という意味で、日本流にいえば端女郎からドヤ街の女まで。
高級遊女は、コルテザ−ネ・ファモッセ。この女たちは、いずれも名だたる美女ぞろいといってよい。ヴェネツィア派の巨匠たちが描いた絵で、その美貌がいまにつたえられている。
ヴェネツィアは、毎日が祝祭のようなもので、当時として世界一、淫靡な都会だった。なにしろ二世紀のちに、カザノヴァが登場する街である。
コルテジア−ナは、もともと宮廷(コルテ)の女という意味だったが、こういう呼びかたにふさわしいのはロ−マの女だった。
日本の太夫のように、たくさんの侍女、男衆をひきつれて、まるで宮殿のような住まいを構え、相手にする男たちは、王侯貴族、枢機卿、大商人、銀行家といった人たちだった。酒席の話題は豊富で、プラトン主義の哲学、ダンテの『神曲』や、ペトラルカ、タッソ−といった詩人を論じるし、ラテン語、ギリシャ語、なかにはトルコ語、グルジア語まで話す才女も多かった。
トゥルリア・ダラゴ−ナは、アラゴン王家の血筋をひくお姫さまだったが、『まったき愛の無限について』という本の著者だったが、彼女と同衾する男は、その性技のたくみさに魂も天翔(あまが)けるといわれた。