たとえば、口という器官はすばらしく表現力にとんでいる。レイ・L・バードウィステルは、唇の動きについて、
唇をつぼめる
唇をつき出す
唇をひきしめる
唇の先をひっこめる
歯をむき出す
口をぼんやりあける
口を大きくあける
という七種類にわけた。
こうなったら、作家にまかせておけばよい。どんな作家だって、唇の表現、とくにキスという行為において拙劣な作家はいないのだ。
ところが、バードウィステルも鼻については、「鼻にしわを寄せる」、「鼻孔をつぼめる」、「両方の鼻孔をひろげる」、「片方の鼻孔をひろげるか閉じる」の四種類しかあげていない。
ようするに、鼻は、人間のおもな感情表現にほとんどかかわりがない。
怒りをおぼえた人は鼻をならすにしても、唇をひきしめたり、歯をむき出すほうが怒りの直接的な感情表現として効果は大きい。
鼻は、悲しみ、恐怖、嘆き、といった感情をあらわす場合に、せいぜい「はなみず」を垂らしたり、ハンカチーフをグショグショに濡らすぐらいしかできない。
たいていの作家は、女性の鼻のかたちを表現することがあっても、その表現はきわめて限定的、類型的で、まともに描写することがない。
私のことばが信用できなければ、森 鴎外、夏目 漱石、誰でもいい。鼻をみごとに描写したことがあったろうか。たとえば、有島 武郎の「或る女」で、ヒロインがはじめて運命的な出会いをもつシーン、たとえば……たとえば……とつづく、おびただしい作品に、どれだけ印象的な「鼻」が描かれていたか教えてほしい。