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第3章 鼻 4-2

 
 またしても、もう誰も読まない作家を引用しておく。
 エロティックなシーンで、息づかい(呼吸作用)や嗅覚が描かれるのは当然だが、それでも下等な、いわゆる「スーハー本」のようなものは別として、こうしたシーンの、息づかいや匂いが、作中人物の内面を表現するような作品はきわめて少ない。

  「佐藤は小時(しばらく)すると、手を伸ばして先刻(さっき)ふじ子が持って来た花瓶を自分の方へ引き寄せ、こつそり味はふやうにその匂ひを嗅いでいた。花束を鼻から離したり、くッつけたりしているうちに漸次(だんだん)と酔はされたやうな顔になって、うつとり眼を瞑(つぶ)りながらヘエリオトロープの冷たい花弁へそつと唇を押当てた。
         長田 幹彦 「永遠の謎」(大正11年)

 ヘリオトロープがいつ頃から小説に登場したのか知らない。しかし、日本人にこの匂いが親しくなったのは、大正期の無声映画、とくにミステリーに登場してからだろう。ヒロインがつけている香水が、ヘリオトロープという植物性のものであることが、エグゾティックに響いたと思われる。
 長田 幹彦の別の長編「戀ごろも」(大正9年)では、

  「豊子は蒸すやうな香水の匂いのする手巾(ハンケチ)を取出して、それで口の辺(あたり)を拭きながら、……(後略)
 といった表現があって、これは動物性の香水だろうと想像できる。
 このヒロインは、大正期の奔放な「悪女」として登場していることもあって、この香水はおそらく動物性の香りなのだろう。ただし、「戀ごろも」という作品は、香水の匂いが作中人物の内面まで表現しているとはとても思えないのだが。
 あえていえば、長田 幹彦のような作家でさえ、女性美の一つとしての鼻に言及することがなかった。これに較べて、谷崎 潤一郎のほうがはるかに嗅覚的な作家だったといえるだろう。

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2007年08月22日 19:42に投稿されたエントリーのページです。

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