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移動する |
Date: 2005-09-15 (Thu) |
私の立っている渚はゆるやかに長くつづき、砂浜に人の姿はない。肌を截るような風が私をひるませるけれど、その音は少しづつ耳に馴れてくる。鉛色の暗澹とした空が重苦しい沖を蔽い、その重みで波が沖から押し出されてくるようだ。
私は移動する。
ひとりで、どこまでもまっすぐに。風に荒れた砂地を踏みしめてゆくときの、脆くてやわらかい砂の感触。私はひとりのノーマッドなのだ。あるいはゴートだろうか。
歴史のなかで――二世紀のなかば、中央アジアの大曠野の遊牧騎馬民族だったフンは、西進をはじめたという。彼らはヨーロッパに姿をあらわす。ボルガ、ドンの両河域にあったアラン族を破り、さらに西進して、東ゴートに迫る。危険を察知した西ゴートは、東ローマ帝国の許しを得て、三六七年、ドナウを渡り、モエシア・トラキアに移動する。このときから民族大移動がはじまったとされているが――彼らがはじめて多島海に出たとき、そこにひろがる海の姿に何を見たのだろうか。季節はいつだったのか。もし、冬だったとしたら、いま私が見ているように、底のほうに黒みを帯びた青さ、思わずひきこまれそうな感じを抱かせるあらあらしい冬の海を見たに違いない。雪が降っていたとすれば、あれ狂う海に降る雪は民族の運命を苛酷な予兆のように音もなく溶け入っていたかも知れない。だが、そうした想像にあまり意味はないだろう。むしろ単純に、はじめて海を見た彼らは神秘的な美しささえ秘めている冬のエーゲ海に畏怖をおぼえ、心をひかれたと想像するだけにしておこう。空想は、移動者にとって本質的なものをもたらさないから。……
私はひとりのノーマッドなのだ。精神の領域においてさえも。
たとえば――サンジェルマンの通りからパンテオンを背にしてリュクサンブール公園にむかう。そこにひらかれる荘麗な宮殿の前庭を見おろす階段のあたりに立ったとき、私は突然に理解したのだった。私にとって旅は、移動へのあくなき欲求なのだ。あたりまえのことだ、といわれるかも知れない。しかし、私にいわせれば、ことはそれほど単純ではない。
旅は、あまりにも変化のない、気楽な生活のなかにのんびりと、どっぷりとつかっている「私自身」が、その平静さをかきみだされる必要があると感じたときからはじまる。もし誤解をおそれなければ、おのれの内面の奥深いところにある悪徳にめざめることといってもよい。なぜなら、長いあいだ、ひとところに安住していかなる苦痛も生じない有害な病気とはっきり手を切ることなのだ。
あのリュクサンブールで、眼下にはみごとにゆたかな噴水の運動を見ていたとき、春のある朝、突然にめざめて、いっせいに若葉を芽ぶくマロニエの森を見ていたとき、私の心を動かした想念はそういうものだった。私のもっとも嫌悪するものは、ディスカバー・ジャパンなどという旅であって、こういう旅行にはあまり人間的感情も無縁のものという気がする。
これは、何も旅にかぎらない。
ある日の私は、マイルズ・ディヴィスの「ライヴ・イヴィル」を聞く。なつかしいマイルズ。彼の演奏は、もはやかつて私が知っていたスタイルのものではない。なるほど現在のように、すべての価値が多様化してくると、ジャズの演奏もおそらく多様になってきてマイルズのやっている仕事もその一つであることがわかる。バンド・ジャズの存立の様態も、もはやかつてのスタイルを踏襲することができなくなっていることは明らかだろう。だが、私にとって楽しいのは、マイルズがじつにみごとに移動していることなのだ。
マイルズにあきたとき、私は別のレコードに移る。それは、チャーリー・パーカーだったり、ときにはロックのレオン・ラッセルだったりする。私はそういうふうにして絶えず移動しているのだ。
むろん、一つところにじっくり腰を据えることは必要だろう。そういう空間の限定は、ただの否定的な行為ではなく、ときとして一つの困難な達成であることも私は知っている。しかし、私は、一つところにじっくり腰を据えながら、同時に、自分の内部にあたらしくめざめる欲求にうながされることも必要なのだ。それによって、たとえばマイルズという空間のなかで過ごしてきた時間のすべてが、はじめて一つのまとまりとして感じられ、あたらしい意味を帯びてくる。
だから、私の内部には、ヘミングウエイと大伴旅人が、アフリカと平賀源内が共存している。私はいつもそういう時間をたしかめてきた。一人の人間が、一生のうちに経験できる限られたわずかな時間。そのなかで移動することによって、それを超えるもの――多くの生と死の記憶がまのあたりに見えてくるだろう。
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