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  ピンナップ Date: 1974年3月 



 めずらしい文章を一つ引用しておく。明治三十四、五年頃、日本にきた活動写真の宣伝のビラを見ると、
「大不可思議の発明、米国大統領閣下、ドイツ皇帝陛下御覧、電気王エジソン氏、活動写真」と記載されている。
 リュミエール兄弟が世界最初の映画を公開したのが、一八九五年十二月二十八日だった。アメリカでの最初の映画興行は、翌年の四月二十三日だから、わが国に映画が舶載されるまでに数年かかっていることがわかる。
 アメリカで製作された最初の映画は、美女の踊り、浜辺にくだける荒波、ノッポとチビの拳闘のスラプスティックな喜劇、『モンロー主義』と題する諷刺的な喜劇、ホイトの笑劇『純白の旗』の一場面といった実写、もしくは実写に類するものだったという。アメリカの民衆にとっても「電気王エジソン氏、活動写真」が大不可思議の発明だったことはいうまでもない。もう一つおもしろい文章を引用しておこう。
「映画は二〇世紀に生れた、そして二〇世紀が生んだ、新しい芸術の世界である。欧州大戦を転機とする科学と文明の高度化が、この稚い芸術への栄養給付の役割を果たしてくれた。これは石器時代から金属器時代への移行、殊に鉄器時代の出現、それらより以上に  
刮目すべき文化史的事変であるのだ。そして映画の成長期における保姆の位置に立ったのが、文化的二等国アメリカであった。」(「映画評論」、一九三七年七月号、編集後記)
 ある種の表現は、それが書かれた時代の通念、制約を無意識に孕んでいるものだが、この「編集後記」が私にめずらしいと思われるのは、映画を文化史的にとらえようとする姿勢があらわで、その芸術性を無意識に強調していることと、アメリカを文化的に後進国と見ることによってしめされている無意識のショーヴィニスティックな態度による。
 それはどうでもいい。私の注意を惹くのは、これが映画芸術の誕生から四〇年後に書かれていること、そして、一九三七年という戦争への予感のなかで書かれていることなのだ。そういえば、「電気王エジソン氏、活動写真」の不可思議な発明は、やがて、たとえば二〇三高地の実写をもたらすはずだった。そういうことを考えていると、私の夢想ははてしなくひろがっていく。

 あらゆる女が妖婦であるとすれば、あらゆる男はVoyeurである。
 私は週刊誌や映画雑誌で、さまざまな女性の裸身を見る。つややかな髪の匂いさえ感じられるような女たち。白いうなじを見せ、シースルーのこれ以上透明になりそうもないネグリジェを通して、私の視覚に訴えてくるなめらかな胴。あるいは、胸をつよく張り出しながら、背筋に添って手をのばしていたり、腰のくびれから性器の部分に掌をすべらせている女たち。この見知らぬ女たち、というよりは仮構されたエロティックな姿態を見せる女と、私はどんな関係に置かれているのか。それは、こちら側が眼で犯す一方的な関係に過ぎない。
 ピンナップと呼ばれる写真のプリントは、それを鑑賞するのに特殊な教養をまったく必要としない。男性のエロティシズムへの期待と関心をそそる対象であればそれで足りる。そして、それはプリントという複製手段によって誰でも容易に入手することができる。
 私たちはそのピンナップに性的な関心をもって所有することができる。逆説的にいえばピンナップは私たちの性的な観念によってしか存在しない。いわば非在を確認するための一目惚れ(クウ・ド・フードル)なのだ。
 ピンナップは、私たちが愛しているもの、愛したいと思うもの、所有したいと思うものとして所有されるのだろうか。私はそうは思わない。むろん、そのピンナップに関心がなければ誰も壁にかけないけれど、それは必ずしも意識的なものとしてあらわれるのではないだろう。それは愛と違って、ある瞬間から事物の存在や形相が変化するような精神状態をもたらすことはない。おそらく、そこにプリントされている女ではなく――なぜなら、ブリジット・バルドーだろうと、アラン・マーグレットだろうと、川村真樹だろうと、栗田ひろみだろうと、ハニー・レーヌだろうと、すべては非在だから――むしろその記憶が現在も残っていて、そのピンナップがそのイデーの支えになるような、まったく違った女に対する情愛(アフエクション)に起因するだろう。つまり、それはあるカテゴリー、あるタイプの女性を無意識に再認識するものであって、それがあれほどまでにおびただしいチーズ・ケーク・フォト、ピンナップ、もっと直接的なものとしてポーノ・フォトが作り出される根本的な動機なのだ。私たちは、ときとして自分が知らずにいた、知らないふりをしていた対象をピンナップのうちにそれと認めるからこそそれに関心をもつ。
 ピンナップが性的なものを喚起するイメージであることは当然だが自分のエロティシズムを認めないかぎり、私たちの性本能はそれによって衝撃をうけない。前に引用した二つの文章を私がめずらしいと感じながら、それによって感動することがないのは、私がトーマス・アルバ・エディスンを「電気王、エジソン」とは無関係だと思っているからだし、三〇年代の映画評論家が映画の芸術性をつよく主張しようとしたのと違って、はじめから映画を芸術と考え、人間の想像力の一つのあらわれと見ているからでもある。おなじことはピンナップにもいえるのであって、私たちは十九世紀末から二〇世紀初頭にかけてあらわれたピンナップをめずらしいと感じても、それに対して欲望や、羞恥、嫌悪をもつことはない。つまり、私たちはピンナップを見るとき、無益で、機能として存在しないような感情はもつことがない。思惟的なものであれ具体的なものであれ、その対象に関係のないリフレクションなどあらわれるはずがないだろう。このことは、フランスのアスラン、アメリカのヴァーカスの、非常に似通った、たいていの場合はセミ・ヌードの美しい女たちを描いたイラストレーションを見ればわかるだろう。その手法はほとんど変化がないにもかかわらす、たとえば三〇年代の「エスクァイア」に描かれているヴァーガスのイラストより、六〇年代、七〇年代のヴァーガスやアランのイラストに、おそらく多くの人の関心がむけられるだろう。この意味で、ピンナップはその時間的な生命はきわめて限られていると考えられる。

 私はトップレスと呼ばれる水着が出現した時代を、一つの大きなターニング・ポイントと考えたことがあった。この水着は、六〇年代にニューヨークに出現したきから、さまざまな話題をまき起こした。話題をまき起こしたには違いないが、風俗として定着しなかったし、やがてすぐに完全なヌーディティの時代に移って行ったのだった。
 これはビキニ・スタイルとはその目的・機能も違っていた。要するにパンティーにサスペンダーをつけたような水着で、パンティーの部分がハイウェストでストマックまであるから、水着で隠す面積はビキニより大きいものだった。これを着用する女性は、むろん豊満な乳房を露出することになるから、私は大いに楽しみにしたものだった。しかし、現実には、トップレス・バーやゴーゴー・ガールなどが採用しただけに終わった。
 この水着は、ロサンジェルスのデザイナー、ルディ・ガーンリックが、女性ファッションを諷刺するためにデザインしたものといわれている。しかし、これがやがてすさまじい勢いでヌーディティの時代に移行して行ったのだからデザインとしては落第だった。ただし、つぎのことが、いまでも私の関心を惹いている。つまり、それまでの傾向は、あくまでセックス・アピールを強調した露出主義で、どういうふうに女性からカヴァーをストリップ・オフするかということが至上目的だった。したがって、トップレスは、その最終段階だったはずなのだ。
 しかし、現実には、アメリカの場合では、ボトムレスに移行してゆく。それはセックス革命のなかでは、トップレスほどの衝撃力をもたずポーノグラフィックな時代に入って行ったといえるだろう。
 これは、かつてのチーズケーク・フォトグラフィーが、ピンナップとして成立しなくなり、現在のような表現に移行して行ったことと軌を一つにしている。それは、乳房崇拝(ブレスト・カルト)から性器信仰(ジェニタル・フェイス)への移行と見てよいだろう。ここで奇妙な、いやむしろ正当な逆説が成立する。
 それは――もし、人間の衣装が、からだやモラルをまもるよりも、基本的に内在する劣等感を克服するためにデザインされる、というテーゼを認めれば、女性のからだからひたすら衣装をストリップ・オフしようとするデザインは、女性の優位をますます小さくするだろうこと。なるほど、女に華美な衣装を着せることによって、男性は女性を従属させ、支配してきた。逆に、ファッションが女性に優越感をあたえればあたえるほど、女性は男性との平等、ないし、平等に近い状態に到達できなくなるだろう。ところが、女性がピンナップに近くなればなるほど、それもまた男性による従属の度は大きくなる。
 だから、私はトップレスが登場したときが一つの大きなターニング・ポイントだと感じたのだった。トップレスは、ブレスト・カルトの最終的な帰結であり、同時に、第二次性徴の敗北だからなのだ。
 いわゆるチーズケーク・フォトグラフィーということばはどうしてあらわれてきたのだろうか。
 一九一五年、ロシアのプリマドンナ、エルヴィラ・アマザールがアメリカ公演のためにニューヨークについた。このときインターヴュウをした写真記者のジョージ・ミラーが彼女の写真をとったが、ふつうの写真では訴及力が足りないと思ったらしく、スカートをちょっとあげてくれといった。
 この写真を見た編集長が「わぁ、こいつぁチーズケークよりいいねぇ」といったという。まるで、D・アレグザンダーの小説に出てきそうなエピソードだが、これは実話らしい。このときから、ピンナップとしてのチーズケーク・フォトが登場する。
 これはフォトグラフィック・ジャーナリズムの誕生でもあった。ある映画評論家が「文化的二等国アメリカ」を書いた一九三七年、「ライフ」が創刊され、六週間後に「ルック」が登場する。「ルック」は、発売十日で、八十三万五千部という驚異的な数字をうちたてた。これを追って、スクリーン、ステージ、スポーツを対象とした「ピック」(五十万部)、スリルとセックスを売りものにした「フォト」、そして、今日と昨日を対照的に見せる「ナウ・アンド・ゼン」、ガーリー・フォトを中心にした「クリック」が百万部を突破した。さらにガーリー・マガジンとして、「シー」(四十万部)、「ピーク」(二十万部)、ハリウッドのピンナップを掲載した「ムーヴィー・ピックス」(五十万部)、エクスポゼ専門の「フォーカス」(五十万部)などが出た。
 これらの雑誌は、若い美しい女性をできるだけセクシィに撮影しつづけた。それは、ピンナップ自体に、暴力や諷刺、ロマンス、エロティシズム、純潔さ、フェティシズム、そうした種類ではほとんど大半がレズビアニズムであった倒錯、一般的にいって「ソフト・コア」エロティシズムを売りものにしたのだった。まだ無名だった頃のマリリン・モンローが「ピック」や「シー」のカヴァー・ガールとして登場することも当然だったといえよう。
 だが、女性をできるかぎりの範囲でストリップ・オフすることは、妖しい露出主義であり、あくまで誘惑の一手段である。そのためには、その時代の「ナウ」な女性が選ばれなければならない。こうして、ピンナップはますます現在性が強調されるだろう。

 なつかしのピンナップ・ガール

 グレタ・ガルボ、グロリア・スワンスン、クララ・ボウ、ジョゼフィーン・ベイカー、ジーン・ハーロー、あのメエ・ウェストでさえ、いや、セダ・バラでさえ、ピンナップ・パレードを飾っている。
 いま、アンナ・メイ・ウォンや、ヴェロニカ・レイク、ルイーズ・ブルックスなどの女優を知っている人がいるだろうか。彼女たちはそれぞれの時代を飾ったピンナップ・パレードの代表的な女優たちだった。スフィンクスの謎を秘めた美しいコーディットたち。
 フォトグラフッィク・ジャーナリズムはハリウッドとは切り離せない。四〇年代の、ベティ・グレーブルが『ピンナップ・ガール』(一九四四年)に主演したとき、ピンナップはそれまでのピンナップの概念を変えたのだった。
 モデルの顔や姿態の美しさ、ポーズの趣味のよさ、そして、全体に見られるキュートネス。要するにピンナップはアメリカの愛であり、オール・アメリカンの理想にほかならない。このアメリカ的なセックスが「ぎこちなく自意識的で、陰性なワイセツさ」をもっていたことに気づくまでに二〇年の歳月を必要とするだろう。この評価は作家のバッド・シュールバーグによる。それは機会と成功の夢が、機会と性交の夢に変質する時期でもあった。
 五〇年代に入ってからの「プレイボーイ」が代表するピンナップはセックスに対するいっそう現代的な姿勢を反映する。それは、それまでのアメリカ人的なタフネスに対して、はるかにサイコセクシュアルな概念を対置する。暴力や諷刺、ロマンスは、もはや誰の眼にもはっきりとフェティシズム、サド・マゾヒズム、マスターベーション、レズビアニズム、エグジビショニズムに移行している。そして、空虚なハリウッド・スタイルの生活様式から、もっと洗練された、よい食事、よい酒、ステータス・シンボルとしてのカー、ハウジング、ドレス、さらに女性を同伴することの男性の関心に移行してゆく。そこでは、女性はかならず未婚であることを暗示するような若さと性的にみごとに反応するタイプであるという理想が見られる。メーキャップやボディ・メーキャップによって、女性の美点が強調され、しばしば非現実めいたイメージに到達している。これは、ハリウッドの没落とパラレルにあらわれた現象といってよい。一九三七年から四〇年代にかけて、ハリウッドは大衆社会の偶像をつぎつぎに生み出してきた。スターに関してロマンティックな記事が山ほど書かれ、スターのポートレートはいつも微笑していた。そのグラマラスな世界をめぐるファンタジーはやがて終わるのだ。
 美しいジャズ・ベイビーたち、シャンパンを注ぎ込んだ浴槽、深夜のランデヴー、夜明けのペッティンング・パーティーの二〇年代から、ガルボ、ハーロー、ディートリッヒたちのような女神たちの時代に移り、最後のチーズケーク・フォトの代表となったマリリンまでのピクトリアルな時代。
 スターのプライヴァシーはもはや存在しない。ハリウッド・スターダムのサイコセクシュアルな話題や、おそろしい退廃がピンナップの世界をいろどるだろう。モンローが象徴しているように、ピンナップとしての女優は、性的な対象としての女と、人間としての女の対立に身をさらさなければならなくなる。そして、いま、もはやセックス・シンボルとしてのピンナップは存在しないのだ。
 フォトグラフィー・アートは、モチーフによって大きな制約をうけるという宿命をもっていた。そのため、ヌード・フォトグラフィーは、性毛や性器を撮影しないようにするため、画面をトリミングしたり、必要な美の要素だけを追及する努力を重ねてきた。それは、ついには具体的な一人の女という表現から乖離して一種抽象的な表現に接近していく。こうして、さまざまな写真家の孤独な戦いがつづけられてきた。スタイケンからロルフ・ウインクィストまで。
 しかし、ピンナップ・フォトの世界では、もはや、いわゆるビーバー・ショット(性毛を撮影した写真)や、スプリット・ビーバー(性器を露出した写真)があらわれている。こうした変化は、性革命の顕在化にほかならないが、私たちの世界でも、好むと好まざるとにかかわらずその潜流は近い将来、突然に迸出するだろう。「大不可思議の発明」がアメリカという「文化的二流国」を現在の階段に直面させたばかりか、私たちまでもある問題に直面させられているということを知ったら、「電気王、エジソン氏」は何というだろうか。(74.3)
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